どうも、レンジです。
僕は高校生のときに野球部に所属していました。
毎日、学校が終わった後にグラウンドに出て土だらけになりながら練習をしていたんですね。
決して強豪校ではありませんでしたが、みんなで毎日必死に練習をしていました。
高校の野球部なんていうと、漫画やドラマではいかにも青春って感じで仲間と一緒にアツく甲子園を目指そうぜって感じで描かれます。
なので、正直高校に入る前の僕もそんな期待はしていました。
決して強豪校ではなかったので、甲子園に行けるとは思っていませんでした。
でも、それなりに真剣にやって、みんなと力を合わせて試合に臨んで、最後は勝って笑顔で終わりたい。
そんな妄想をしていたんです。
しかし、そんな妄想は1週間も持たずに崩れ去りました。
出鼻をくじかれる
中学時代にとあるキッカケでコミュ障になってしまった僕は、そのコミュ障を引きずったまま高校に入学しました。
当時の僕は野球部推薦で高校に入ったので、野球部に入ることが決まっていました。
そして、僕を含めて4人の推薦がいて、入学の前に顔合わせをすることになっていました。
顔合わせ当日。
慣れない場所や初対面の人と会うということで緊張MAXで入学予定の高校に向かいました。
校内の地理なんてわからないので看板を見て、指定された部屋へ向かいました。
部屋の前に到着。
不安と緊張と恐怖で吐きそうになっていました。
しかし、ここで帰るわけにもいかないので、意を決してノックをして部屋に入ります。
中は至って普通の高校の教室で、すでに野球部の監督と同じ推薦入学の人が2人いました。
当然ですが2人とは初対面です。
監督は普通に話していましたが、相手も緊張しているのか、
「あ、ども・・・」
みたいな微妙なあいさつをして残りの1人が到着するのを待ちます。
部屋の中には何とも言えない緊張感が漂っていました。
その後すぐに残りの1人が到着して顔合わせが始まりました。
顔合わせが終わったあとは4人で学校から駅まで向かいます。
しかし、ここで1つ問題が起こりました。
それは僕が全くしゃべれないということです。
さっき書いた通り、僕は中学のときにコミュ障になっていたのでまともに人と話せない状態でした。
ましてや初対面の人3人に囲まれて話せるわけがありません。
自然と3人は話しながら歩いて、僕がその後を付いていくという構図になりました。
頑張って話に入ろうと思っても、どのタイミングでどうやって話に入ればいいかわかりません。
それ以前に自分が話に入って場が白けてしまったらどうしようという恐怖心で、話に入る勇気が出なかったんですね。
やばい、これどうしよう。。。
オレだけ話さないのめっちゃ気まずいんだけど。
でも、今さら会話に入るの難しいし、そもそも何を話したらいいかもわかんねぇ。
やばいやばい、いきなり詰んでるじゃん、これ。
マジで早く駅に着いてくれ!
1秒でもこの状態から解放されたいと思いながら、ただ黙って後ろを付いていくしかありませんでした。
途中、たまに話を振ってくれるときもありました。
でも、僕はそれに対して、
「あ、、、うん、、、」
みたいなあいまいな返事しかできず、すぐに話が途切れてしまったんですね。
せっかく話を振ってくれたのに申し訳ない、、、
そんな気持ちでいっぱいでした。
結局、この日は他の人とほとんど話すことなく家に帰りました。
家に帰ってからは1人反省会です。
あぁ、これ絶対、変なやつって思われたよな。
オレだけ話してなかったし。
次、会うのめっちゃ気まずいじゃん。
てか、同じ学年でもこれなのに、先輩とうまく話すなんてムリじゃね?
考えれば考えるほどネガティブことばかり思い付きました。
せっかく高校生になったのに夢も希望もなく、ただ、
これからオレはどうなってしまうんだろう・・・
という先行きの見えない不安しかありませんでした。
コミュ障から目を逸らした結果・・・
その後、正式に入学して部活動もスタートしましたが、僕の不安は的中しました。
同期が15人くらいいましたがうまく話せず、先輩ともなかなか打ち解けられなかったのです。
その結果、僕は部活内で孤立してしまいました。
野球部と言っても野球だけをしているわけではありません。
みんなでミーティングをしたり、練習外でも話したりします。
根っこにあるのは人間関係なんです。
なのに、コミュ障の僕はその人間関係でしくじってしまったんですね。
まるで部活内に居場所がないよう感じました。
オレってこの部活に必要な人間なんだろうか?
別に辞めても誰も困らないよな。
なんなら辞めても気づかれなさそうだし。
それなのに、何で毎日監督に怒られながらこんな辛い練習なんかしなきゃいけないんだ?
オレは一体、何をしているんだろう。。。?
こんな環境にいても全然楽しくありません。
当然、練習にも身が入りません。
自分が何で野球をやっているのかわからない状態で練習に打ち込めるほど僕のメンタルは強くありませんでした。
毎日、いかに目の前の練習をラクにやり過ごすかだけ考えていました。
野球がうまくなる?どうでもいい。
レギュラー?ならなくていい。
甲子園?興味ない。
そんなことよりも今日の練習はラクなメニューかな?
どこで手を抜こうか?
うわ・・・今日ランニング多めだ。最悪。。。
あ、でも今日は監督グラウンドに来ないじゃん!
ラッキー!!
まるでやる気がないサラリーマンのように、
- 早く練習時間が終わってくれ
- 早くオフの日が来てくれ
- 明日、雨が降って練習が中止になってくれ
そんなことばかり考えていました。
時には、
大地震が起きてグラウンドに地割れができて練習ができないようになってくれねーかな。
高校の校舎が爆発して練習が中止になってくれねーかな。
なんてくだらない妄想にすがるときもあったくらいです。
また、野球部の活動の中で特に苦痛だったのが、練習試合に行くときのバス移動でした。
野球部では、
バス移動のときは寝てはいけない
というルールがあったんですね。
なので、移動中はみんな雑談をして寝ないようにしながら時間を潰していました。
しかし、コミュ障の僕にはそれができません。
みんな近くの席の人と会話をしていましたが、僕だけは1人じっと黙って目的地に着くまで耐え忍んでいました。
ただ、バス移動は2時間くらいかかることもあります。
居心地の悪いバスの中で眠気と戦いながら、ただ時間が過ぎるのをひたすら耐えるのは苦痛を超えてもはや拷問。
頼む、早く着いてくれ。
マジで・・・、頼むから・・・。
何でもいいから早くしてくれ。
意識が飛びそうになるなか、内出血が起こるくらい自分の太ももを強くつねって何とかやり過ごしてました。
そんなことをしていたので、遠征の前日はいつも憂鬱でしたね。
なんで自分1人だけこんな苦しい思いをしないといけないんだ、、、
自分の他の部員みたいに楽しく話せたらどれだけラクで楽しいか、、、
ちくしょう、オレが何をしたってんだよ!
途中で何度も部活を辞めようと思いました。
でも、辞められなかったんですよね。
推薦で高校に入学しているから辞めないのが前提になっていたし、何よりここで辞めたら親がガッカリさせることになります。
だから、どんなにイヤでも辞められない。
毎日毎日、
あと〇〇日で引退できるぞ。
もうちょっとの辛抱だ。
と自分に言い聞かせていました。
そんな感じで全然、気持ちが入っていなかったので、最後の夏の大会で負けて引退が決まったときも、あんまり悲しくなかったですね。
一応、泣きはしましたがどこか演技が入っているというか。
周りが泣いてるからオレも泣いとこ。
高校野球の最後って泣くものだよね。
じゃあ、泣くか。
みたいに“頭で考えて”泣いてました。
心の底から悔しくて、もう仲間と野球ができないのが悲しくて思わず泣いてしまったとかではなかったんですよね。
なんなら、
もうこれで毎日、練習しないで済む。
監督に理不尽に怒られなくていいんだ。
バス移動もしなくていい。
あぁ、よかった・・・。
やっと解放されたんだ・・・。
みたいな解放感の方が強かったです。
そして、そんなことを思っている自分が薄情で、本気でやっていたメンバーを裏切っているみたいで、それもまたイヤでした。
最後の方はもう何のために野球をやっているのか分からなかったですね(苦笑)
よくわからない義務感しかなくて、ただただ苦痛でした。
野球がなければ、こんなに辛い思いをしなくて済んだのに。
野球がなければ、もっと楽しい高校生活を過ごせたのに。
野球さえなければ。。。
このときの僕は完全に野球のことが嫌いになっていたのです。
バットもボールもグローブも全部見たくありませんでした。
小学生で野球を始めたころはあんなに好きだったのに。
コミュ障は僕の野球への思いすらもねじ曲げてしまったのです。
理想を言えば、周りのメンバーと仲良くなってみんなで甲子園を目指したかったです。
野球ものの漫画やアニメのように「青春」みたいなものをやってみたかったし、最後まで全力で野球に向き合って、悔いなく本気の涙を流したかった。
たった1度の高校生活を生涯色褪せない最高のものにしたかったです。
でも、現実は部活内で孤立して練習に身が入らず、大会でもベンチ外 or ベンチでした。
今思うと、キチンとコミュ障と向き合って改善していれば、もっと違う結果もあったのかなって思います。
でも、当時の僕はそれをせずコミュ障から目を逸らしてしまったんですね。
その結果、色々な後悔を残したまま僕の高校野球は幕を閉じることになりました。
もし今の僕が当時に戻れたら・・・
無味乾燥の高校生活が終わった後も僕のコミュ障は続きます。
しかし、大学生のときに起こったとある事件をキッカケに真剣にコミュ障改善に向き合い、大学3年のときには脱コミュ障を果たしました。
そして、社会人になったある日、野球部の同期から結婚式の招待状が送られてきました。
特に断る理由もないので即座に「出席」に丸をして返送。
しかし、実は不安なことが1つありました。
それは高校の部活のメンバーを前にしてちゃんと話せるのかということです。
実は高校を卒業してから部活のメンバーとはほとんど会っていなく、脱コミュ障をしてからは始めて会うタイミングだったんですね。
このときの僕は高校時代の僕とは別人レベルにコミュ力が上がっていました。
でも、もし高校のときのメンバーに会って、前みたいに全然話せなかったら?
もし、高校のときみたいなコミュ障になってしまったら?
結局、オレは新しく会った人と仲良くなれるようになっただけで、根本的なところでは何も変わってないのではないか?
また自信喪失してコミュ障に戻ってしまったらどうしよう?
みたいなことを考えていました。
でも、ここで逃げたらそれこそコミュ障です。
それに、今の自分が彼らを前にしてどう感じるのか興味もありました。
大丈夫、今さらコミュ障に戻るほどヤワな鍛え方はしてこなかったはず。
むしろ、過去の自分と完全に決別するいい機会じゃね?
よし、いっちょやったるか。
「自分なら大丈夫」と自己暗示をかけて、結婚式に参加しました。
そして、結婚式当日。
招待状に書かれた式場へ到着して受付を済ませます。
待合室を見渡すと、懐かしい面々が何人かで固まっているのを見つけました。
ここまで「オレなら大丈夫」と言い聞かせてきましたが、いざその瞬間になるとさすがに緊張してきます。
瞬間的に、
声をかけてムシされたらどうしよう。
うまく話に入れなかったらキツいな。
そんなことが思い浮かびましたが、身に付けたセルフコントロール術で瞬間的に頭から除去。
そして、親友に話しかけるようなテンションで合流した結果・・・
至って普通に合流できました。
話しかけて、
「なんだこいつ・・・?」
みたいな反応をされることもなく、
「おー!久しぶり!」
という歓迎テンションで話すことができました。
事前に頭によぎった悪い展開なんて1つも起こらなかったんです。
完全に杞憂だったんですね。
それくらい自然に話せていました。
たぶん、他のメンバーもびっくりしていたと思います。
高校時代は無口を通り越して声帯がないんじゃないかってくらい話さなかった僕がガンガン話しているのです。
「こいつ中身違う人に入れ替わったんじゃね?」って思った人もいたかもしれません。
結局、この日は2次会まで含めて1日楽しく過ごせました。
何というか初めてちゃんと部活のメンバーと話せた気がしましたね。
あ、こいつってこんなやつだったんだ。
なんか話してみてちょっと印象が変わったかも。
もうちょっと早く話せれば良かったな。
なんて感じることもありました。
そして、このとき「オレってちゃんと変われたんだな」って思ったんですよね。
新しく知り合った人だけではなく、今まで仲良くできなかった人ともいともカンタンに仲良くなれた。
過去に失敗した人間関係を後からやり直せる。
あぁ、もう大丈夫だ。
ちゃんと変われたんだな。
そう強く実感しました。
また、それと同時に、
てか、これ無敵じゃね?
いくらでもリカバリーできるしやりたい放題じゃん。
とも思いました。
仮に失敗しても後からどうにでも挽回できるのです。
これって実質失敗がないってことですよね。
なので、どうにでもできるなって確信が持てたんです。
これはあくまで予想ですが、今の僕が高校時代に戻ったら野球に集中して理想の高校生活を送れたのかなって思います。
目の前の練習に集中して、試合では息詰まる展開にアツくなって、何年経っても「高校のときはさ〜」なんて思い出話をできるようになるみたいな。
もちろん時間を巻き戻すことはできないので叶わぬ願いなんですけどね。
でも、そう思えるくらい変われたのは本当に嬉しいし、逆に高校時代に死ぬほど苦労したから変われたのかなと。
どん底に叩き落とされたからこそ、そこから這い上がれたのかなって思っています。
そう考えると、過去の苦しかった時期やコミュ障だった自分も肯定できるし、これからの人生を目標を持って前向きに生きていけます。
その証拠に僕は今、会社員と兼業で起業をしています。
もともと大学時代に鍛えたコミュ力をフルに生かすことで、かなりホワイトなメーカーに入社していました。
運良く出世コースにも乗れたので、正直そのまま会社で頑張っていればある程度の生活は確保できていたと思います。
でも、ちょっと働いてみて、もっと別のことにもチャレンジしたいと思い始めたんですね。
今では学生時代からお世話になっていた東大卒の社長や超一流のメンタリストの仕事を手伝ったりしながら、自分のビジネスにも挑戦しています。
元のコミュ障状態だったら絶対に起業しようなんて考えなかったですね。
それ以前に激烈ブラックな会社に入るしかなくて自分の人生に絶望していたと思います。
コミュ障を卒業したおかげで就活も成功したし、さらにその先の目標も見つけて前向きに活動できています。
単にコミュニケーションがうまくなるとか会話のコンプレックスを克服する以上の効果がコミュ障卒業にはありました。
今までコミュ障で苦しんできた分、これからの人生はコミュ力を使ってフルに楽しんでいこうと思っています。
コミュ障だったときは人生を楽しむなんて選択肢はなかったんですけどね。
自分の人生の可能性が広まったって思うと、やっぱりコミュ障卒業して良かったなって感じます。
コミュ障卒業のエッセンスをギュッとまとめた限定書籍を読めます
以前の僕はどうしようもないほどのコミュ障でした。
中学生のころに友達に罵倒されたのをキッカケに人間不信⇒コミュ障になり、高校で孤立したり、友達を怒らせて絶縁されたり、大学デビューも見事失敗しました。
何回も自分なんて生きていても仕方なんじゃないかと考え、一時は自殺寸前まで行ったこともあります。
誰がどう見ても間違いなく「落ちこぼれ側の人間」でした。
しかし、そんな僕でも今ではコミュ障を克服して、人並み以上の会話力や魅力的な友達を手に入れました。
なぜ、そんな変貌を遂げられたのかというと正しいコミュ力の磨き方を知って、真剣に取り組んだからです。
たったそれだけのことで約10年苦しんできたコミュ障からあっさりと解放されました。
そして、コミュ力を上げる過程で、
- 話しているときに相手を楽しませてもっと話したいと思ってもらえる方法
- 初対面の人が相手でも会話を盛り上げて最初から好感度MAXの状態を作る方法
- コミュ障コンプレックスを克服して新たな自分に生まれ変わる方法
- 楽しく会話ができるようになり、人との交流に積極的になれる方法
- 長年の課題を解決して自分の人生に希望を見出せる方法
などなど、学校や社会では絶対に学べないようなスキルを学んできました。
この経験から「正しい知識」と「正しい行動」さえあれば、どんな人でもコミュ障を脱却して楽しく会話ができるようになれると確信しています。
そういった思いから、僕がどのように自分のコミュ障と向き合い克服していったのかを、体験談として1つの書籍にまとめました。
Amazon(Kindle)などの表には出していない秘匿性の高い書籍となっているので、メルマガ限定で公開しています。
内容はエピソード形式で当時の心境なども具体的に記述しています。
20分くらいでサクッと読めるように書いたので、コミュ障を克服して楽しく人生を過ごせるようになりたいなら読んでみてください。
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