どうも、レンジです。
この記事では僕がコミュ障で一番ショックを受けたエピソードを話していきます。
大学に入学したばかりの頃のことです。
高校生までの僕はめちゃくちゃコミュ障をこじらせていて、まともに人とコミュニケーションが取れない状態でした。
だから大学に入ったら、自分のコミュ障を克服して、
- 友達に囲まれて充実した時間を過ごすぞ
- 毎日、飲んだり遊んだりして、人生の夏休みを謳歌したいなあ
- サークルで合宿に行ったりして思い出をたくさん作って遊ぶんだ
そんなことを妄想していました。
しかし、いざ4月になって入学すると思ってもみなかった現実が待っていました。
死ぬ気でぼっちを回避する
事の発端は大学に入学してすぐのことでした。
僕は入学前にガラケーで大学の情報を必死に漁っていました。
(当時はスマホが市場に出てくる直前でまだ持っていませんでした)
中学、高校、浪人時代と、コミュ障が原因でいろいろと不自由してきたので、大学だけは同じ轍を踏まないようにと考えていたのです。
そして、調べまくった結果1つの結論に達しました。
それは、
「大学は1人だと死ぬ」
ということでした。
大学では友達がいないと、
- 自由な時間が多いので、とにかく時間を持て余す
- 周りがグループでワイワイしているのに自分だけぼっち
- テストで過去問が回ってこないから単位が取りづらくなる
など都合の悪いことが多かったのです。
だから、絶対に友達を作ったり、グループに所属した方がいいと書いてありました。
そして、それは僕が最も苦手とすることでした。
というのも、高校までの僕はコミュ障のせいで、何回も失敗していました。
部活では周りとうまく馴染めずに孤立していました。
周りが優しいメンバーだったのでいじめられるようなことはありませんでしたが、ずっと1人だったんですね。
野球部推薦で高校に入ったので途中で辞めることもできず、引退するまで耐え忍んでいました。
遠征先に向かうバスでは、みんなが近くの席の人とわいわい話しているのに、自分だけはずっと黙ってバスが到着するのを待っていました。
練習帰りには、みんながグループになって帰っている少し後ろを1人でトボトボ歩いていました。
なんでオレだけこんな思いをしないといけないんだ?
コミュ障には部活を楽しむ権利すらないのか?
キャプテンになってみんなを引っ張っていきたいとかじゃなくて、普通に部活を楽しめればそれだけで十分なのに。。。
そんなネガティブなことをずっと考えて続けていたんですね。
また、クラスでもいつも1人で席でずっと黙っていました。
もちろん、周りの人みたいにクラス内のグループに入って楽しく過ごした気持ちはありました。
しかし、その勇気がなかったのです。
自分が話しかけても面白くないから入れないだろうな。。。
もし会話をしてムシされてクラス中の笑い者になったら嫌だな。。。
なんて思ってしまい、ずっと1人でいたんですね。
そんな経緯もあり、グループに所属した方がいいと知ったときは、
うわぁ、やべぇぞ、これ・・・。
と、いきなり死刑宣告をされたような気分でした。
しかし、ここで諦めたらこれからの4年間が文字通りの地獄になってしまう。
そう考えた僕は「死ぬ気で友達を作らないと」と思い、我を忘れてさらに情報をかき集めました。
- 「友達 作り方 大学1年」
- 「友達 作り方 コミュ障」
- 「グループ 入り方 大学」
- 「グループ 作り方 コミュ障」
- 「大学 ぼっち 回避」
あっという間に検索履歴が増えていきました。
文字通り命がけで解決の糸口を見つけようとしていました。
大学受験のときよりも必死でした。
検索欄にキーワードを打ち込んで、めぼしいサイトを開いて、そこに書かれていることをメモして情報をまとめていきました。
調べている間、
- 中学や高校で会話ができなかったこと
- そのせいでずっと孤独だったこと
- うまく人付き合いができず学校での生活を楽しめなかったこと
- コミュ障コンプレックスに苦しみ続けたこと
- 会話が怖くてずっとビクビクしていたこと
そういった負の記憶がフラッシュバックして、その度に焦りや恐怖、不安が押し寄せてきました。
「やばい、やばい、やばい。また、あの生活に引きずり込まれる・・・」
地獄の底に引きずり込まれそうになっている感覚になりながら、何時間にも渡って情報を集めていきました。
そして、あらかた情報を集め終わったところで、僕は1つの対策を考案しました。
とはいえ、自信はありません。
「よし!これだ!」
なんて自信満々ではなく、
「とりあえずこれで・・・行けるのかなぁ??」
くらいのものでした。
僕の考えは、こうです。
できかけのグループにどさくさに紛れて潜り込む
これが僕が導き出した結論でした。
1度できてしまったグループに入るのはムリですが、グループができる瞬間なら混ざれる。
さらに、そのときに一番優しそうな人に話しかけることで拒否されることなくグループの一員になれるのではないか。
何とも情けない方法ではありましたがプライドなんてありません。どんな形でも良いからぼっちにならないことだけ考えていました。
一応、対策は立てたものの不安は消えません。
もし、失敗してぼっちになったら?
的外れの方法で効果がなく、どこにも入れなかったら?
また、これまでと同じような惨めで孤独な生活を送ることになったら?
コミュ障のせいで、大学生活がぶち壊しになったらどうしよう・・・
どんなに自分を勇気付けても気持ちが落ち着くことはありませんでした。
時には恐怖が膨れ上がり叫び出しそうになることもありました。
それでも時間は過ぎていき、その日を迎えました。
入学レクリエーションがある入学初日。
新入生全員が集められた教室で僕はレクリエーションを受けていました。
教壇で教授らしき人が何かを話していますが何も頭に入りません。
僕の意識はすでにレクリエーションが終わった後のグループができるであろうタイミングに向いていました。
レクリエーションが終わり、みんなが自然と周りに座っている人に話しかけ始めました。
きた・・・!
ここで全てが決まるんだ・・・!
僕はとにかく人の動きを観察しました。
大学生活の全てをかけて血眼になってグループができそうなところを探します。
しばらく観察していると、ちょうど近くでイケイケな感じでもないけど、見るからに大人しい系でもない人たちが3人、4人と集まっているところを見つけました。
僕は脊髄反射的に立ち上がって、彼らに近づいていきました。
グループに入れるかどうかに大学4年間の全てがかかっている・・・。
ここでしくじったらおしまいだ、、、。
緊張や不安で頭がいっぱいでした。
だって、ここで第一声を間違えたり、声がうわずったり、キョドッてしまって、
「なにこいつ?キモくね?」
と思われたら、もうこのグループに入ることはできません。
そのころには他のグループも完成して僕はどこにも入れなくなっているはず。
だから絶対に失敗できない。
4年間の全てがこの一瞬にかかってるんだ・・・!
一発勝負のプレッシャーから頭が真っ白になりながら、
おそるおそる、
「あのー、、、」
蚊が鳴くような声で話しかけた結果・・・。
何とかそのグループに入ることができました。
死ぬ気で考えた策が実ったのです。
これで入学早々ぼっちになって、どこのグループにも所属できなくなるという最悪のシナリオを回避できました。
ガラケーに表示されたLINEグループを見ながら
「あぁ、良かった。これで惨めな思いをしなくて済む。」
「高校のときと同じ轍を踏まなくてよかった。。」
と、ほっとしていました。
その後は、コミュ障なりに周りのメンバーに合わせながら平穏な日々を過ごしていました。
うまく行ったと思いきや・・・
入学初日の緊張感なんて完全に忘れ去っていた5月に事件は起きました。
その日、僕はグループのメンバーと共に学食で昼食を食べていました。
いつも通り周りのメンバーの話を聞いていたときに、以下のような会話が聞こえてきたのです。
A「てか、お前んち泊まったときマジで汚かったんだけど、何なのあれ?w」
B「いや、汚くねーよ。普通普通」
C「汚ねーだろw ゴミ捨て場かと思ったわw」
B「うるせーよw じゃあ、もう泊まりに来んなw」
・・・え?泊まり?聞いてないが?
どうやら話の雰囲気から察するに、みんなで一人暮らしをしているBの家に泊まりに行っていたようでした。
しかし、僕はその話を事前に知りませんでした。
自分の知らないところでみんなでオールをしていた。
早い話が、僕はハブられていたのです。
頭が真っ白になり、食事の味も感じなくなるほどの絶望感に襲われました。
せっかくいい感じに大学生活をスタートできたと思ったのに。
中学、高校とは違う自分になれたと思ったのに。
大学に入ってもコレか・・・。
結局、オレみたいなコミュ障に待っているのは暗くて孤独で惨めな人生なのかな。。。
見たくもないような現実を突き付けられて、心がへし折られました。
「お前なんかいらねーよwww」
「コミュ障のクセに、なにカンチガイしてんの?」
そんなことを言われた気分になりました。
せっかくうまく行ったと思ったのに。
必死に対策を考えたのは何だったのか。
コミュ障に居場所なんてないのか。
うまく行っていたと思っていた分、受けたダメージは今までの比ではありませんでした。
思わずその場から逃げ出したい気持ちになりましたが、そんな気力も出ないほどのダメージを受けて、全てがどうでも良くなって、
「自殺した人ってきっとこんな気分だったんだろうな」
「あぁ、きっとオレの人生って死ぬまでこんな感じなんだろうな・・・」
と、自殺者への共感を覚えるほどに失意のどん底に叩き落とされました。
きっとこいつらにとって、オレはいてもいなくてもどっちでもいい存在なんだな。。。
ただ、気楽で楽しく過ごしたかっただけなのに。
ただ、普通に友達が欲しかっただけなのに。
オレはいつもこうだ。
何でみんなができていることが自分だけできないんだろうか。
なんかもうどうしたらいいかわからないや。。。
もう孤立しなかっただけで感謝すべきなのかもしれない。
そんなことを自分に言い聞かせて強引に納得させるくらいしか僕にはできませんでした。
絶望している僕に気づくこともなく、グループの人たちは「やべ、言っちゃった」みたいな空気もなく普通に泊まったときの話を話していました。
そして、その様子を見ながら僕は何も言えずにいました。
コミュ力があれば軽い調子で、
「え?何それ、オレ聞いてないんだけどw」
と聞けたかもしれません。
でも、コミュ障だった僕にはそんな勇気もなく、ただ黙って話を聞いているだけでした。
ちなみに、この話をしたときに、
「そんなグループなら抜けて別のグループに行けば良かったんじゃないの?」
と言われたことがあります。
でも、それってムリだったんですよね。
理由は、このときいたグループから抜けるとほぼ確実に1人になってしまうからです。
グループを抜ければ別にグループに入るしかありません。
でも、コミュ障にそんなことができるでしょうか?
どう考えてもムリです。
そもそも最初のグループすら運で入ったようなものですし。
虚しさを感じながら上辺だけの薄っぺらい友達と一緒にいるよりも、ひとりぼっちの方がはるかに嫌だったんですよね。
というのも、入学前の情報の通りグループに入れなかった人はみんな苦労していたんです。
駅からキャンパスまでの20分の道のりを1人で歩いていたし、どの授業でも1人ぼっちでした。
授業と授業の間に空きコマができたときは多目的ホールの端っこで携帯を見ていましたし、昼食のときも食堂の端で1人でポツンと食事をしていました。
周りがグループだらけだからこそコントラストが生まれ、その姿は悪い意味で目立っていました。
まさに入学前に僕が回避したかった姿そのものだったんです。
もしグループを抜けたら自分も“そっち側”になってしまう。
それだけはイヤだ!
絶対にイヤだ!
あんな事になるなら大学なんて辞めた方がマシだ!
脅迫観念のようなものを感じて、動悸が起きそうになることもありました。
なので、どれだけこのグループの連中に不満を持ったとしても離れるわけにはいきませんでした。
浪人時代も途中で友達に絶縁されてからずっと1人だったので、余計にその思いが強かったんですね。
だから、大学生活こそは変えたかったのに。。。
気づいたらグループの中でぼっちのような状態になっていたことに、心の底から絶望を感じました。
必死にコミュ力を上げた結果
この事件があってから僕は、
もう2度とコミュニケーション関係でイヤな思いをするのはたくさんだ・・・!
と思い、自分のコミュ力を上げることにしました。
もう絶対にコミュニケーションで悩まないようになってやる・・・!
大学生ということもあり、自由に使える時間はいくらでもありました。
その時間をフルに使って、コミュ障改善について本を買ったり、ネットの情報を読み漁ったり、時には数万円もする教材を買ってみました。
しかし、どれも効果はなく、ただお金と時間を浪費していくだけ。
一気にモチベーションが下がり、どんどん弱気になっていきました。
やっぱりコミュ障を治すなんてムリなんじゃないか?
素直にコミュ障を受け入れた方がラクなんじゃないか?
オレはこんなに苦しんでまで一体、何をしているんだろうか?
もう諦めていいんじゃないかな・・・?
まるで出口のない迷路を彷徨っているかのような気分でした。
どんなに努力をしても1歩も進んでいないような感覚になり、自分がやっていることはすべてムダなんじゃないかと思う日々が続きました。
そんなときでした。
たまたま購入した教材に書かれていた、ある一文が目に付きました。
その教材には、
他人は思っているほど、あなたのことを見ていないんですよね。
イメージしてみてください。
昨日あなたの友達や周りにいた人が何を話していたか思い出せますか?
思い出せないですよね?
つまり周りの目を気にしたところで仕方ないんですよ。
だから、人の目って全く気にする必要なんてないんですよね。
と書かれていました。
で、この一文を見たときに、
「確かに、、、全然覚えてない、、、」
と思いました。
その瞬間、今までにない考え方が次々に思い浮かびました。
周りは全然見てないのに、俺は今までなにを気にしていたんだろう?
誰も覚えていないようなことに、神経を使って、あれこれ思考を巡らせたり、気を使いすぎることってムダじゃね?
これって完全に自意識過剰だったんじゃないの?
そんなに気にする必要なんてないのかもしれない。
なんなら、もっと積極的に話してみても、大丈夫なんじゃないか。
話すことって、思っているほど危険じゃなくて、もっと安全なんじゃないか。
このように考えれるようになりました。
翌日から僕は友達に対して、少しずつ自分から話すようにしていきました。
いいか?こいつはオレのことなんて全く見ていない。
今、話していることなんて1時間後にはソシャゲで忘れられているからな。
気にすんなよ?気楽に話せばOKだ。
何回も自分に言い聞かせて、会話を試みます。
全身に力が入り、心拍数が上がり、口の中が渇き、声を震わせながらも、話してみた結果、、、
普通に話すことができました。
今までのコミュ障っぷりがウソかのように“普通に”話すことができたんですね。
5分くらいの会話でしたが、何事もなく会話ができたんです。
あ、、、なんだ、できるじゃん。
正直、拍子抜けでした。
だって、また失敗すると思っていたから。
それまでいろんなことをやってみて全部ダメだったから、期待感を持ちながらも心のどこかでは今回も同じ結果だろうなと思っていたんです。
だから、こんな普通に話せるのは意外だったんですよね。
そして、これをキッカケに会話へのイメージが徐々に変わっていきました。
これ言ったら変な風に思われないかな?とビビることも、
オレが話しても面白くないよな・・・と会話から逃げることも、
失敗して「もうこいついいや」って思われたらイヤだなと思って黙ることもなくなっていきました。
ネガティブに話せなかったことがかなり解消されたんです。
その後は、どんどん自分から話すようにして、大学3年になるころには他人にどう思われるかほとんど気にしなくなり自信を持って話せるようになりました。
友達や知り合いと何時間でも話せるようになって、
いや〜、人と話すのって楽しいな!
って思えるようになったり、初対面の人とも速攻で仲良くなってLINEの交換とかもできるようになりました。
コミュ障だったときは30分でもイヤだった飲み会も今では2時間3時間は余裕で楽しめます。
週に何回も遊びに誘われたりして、でもすでに別の予定が入っていて、泣く泣く断るなんてことも起こり始めました。
大学では最初にいたグループ外で何人も友達ができたし、3年から配属された研究室でも先輩も含めて飲みに行ったりしました。
今でもたまに連絡を取って遊びに行ったりしています。
恋愛でも別の大学の文化祭に遊びに行ったときに仲良くなった女の子と付き合ったりもしました。
このことを友達に言ったときに「お前、どんなコミュ力してるんだよ」と言われて思わず内心でニヤッとしたこともありました。
ちなみにコミュ力が上がった今は、今回話した大学のメンバーとも仲良くしています。
誰かの結婚式があればいきますし、2次会とかでも楽しく話をしています。
もし僕がコミュ障を卒業してなかったら、僕1人だけ結婚式に呼ばれなかったかもしれません。
変な劣等感を持って、さらにコミュ障をこじらせていたかもしれません。
でも、幸いそんなことは起こっていませんし、起こる兆しもありません。
冗談抜きで世界が変わりました。
それまでは人とのコミュニケーションに怯えて、妥協に妥協を重ねた人生を歩んできました。
そして、そんな人生が本当にイヤでした。
でも、必死に努力した結果、コミュニケーションを恐れることなく会話ができるようになれました。
話し相手から、
- 「レンジさんって話しやすくて、なんでも耳を傾けてくれるので話題に困らないです!」
- 「話していて困るくらい話し上手で聞き上手でもあるので、安心して関われる感じがします」
- 「君みたいな面白い人に会ったの初めてだわ!」
と言われるたびに「あぁ、本当に諦めなくて良かったな」と強く実感します。
なので、もし今のあなたが昔の僕と同じようにコミュ障で苦しんでいるのであれば諦めないで欲しいです。
だって、努力次第でコミュ障は改善できるから。
中にはコミュ障は生まれつきの性格によるもので治ることはないと考えている人もいると思います。
でも、僕はそう思いません。
決して不治の病なんかじゃないんですね。
コミュ障卒業のエッセンスをギュッとまとめた限定書籍を読めます
以前の僕はどうしようもないほどのコミュ障でした。
中学生のころに友達に罵倒されたのをキッカケに人間不信⇒コミュ障になり、高校で孤立したり、友達を怒らせて絶縁されたり、大学デビューも見事失敗しました。
何回も自分なんて生きていても仕方なんじゃないかと考え、一時は自殺寸前まで行ったこともあります。
誰がどう見ても間違いなく「落ちこぼれ側の人間」でした。
しかし、そんな僕でも今ではコミュ障を克服して、人並み以上の会話力や魅力的な友達を手に入れました。
なぜ、そんな変貌を遂げられたのかというと正しいコミュ力の磨き方を知って、真剣に取り組んだからです。
たったそれだけのことで約10年苦しんできたコミュ障からあっさりと解放されました。
そして、コミュ力を上げる過程で、
- 話しているときに相手を楽しませてもっと話したいと思ってもらえる方法
- 初対面の人が相手でも会話を盛り上げて最初から好感度MAXの状態を作る方法
- コミュ障コンプレックスを克服して新たな自分に生まれ変わる方法
- 楽しく会話ができるようになり、人との交流に積極的になれる方法
- 長年の課題を解決して自分の人生に希望を見出せる方法
などなど、学校や社会では絶対に学べないようなスキルを学んできました。
この経験から「正しい知識」と「正しい行動」さえあれば、どんな人でもコミュ障を脱却して楽しく会話ができるようになれると確信しています。
そういった思いから、僕がどのように自分のコミュ障と向き合い克服していったのかを、体験談として1つの書籍にまとめました。
Amazon(Kindle)などの表には出していない秘匿性の高い書籍となっているので、メルマガ限定で公開しています。
内容はエピソード形式で当時の心境なども具体的に記述しています。
20分くらいでサクッと読めるように書いたので、コミュ障を克服して楽しく人生を過ごせるようになりたいなら読んでみてください。
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